仕事の流儀 株式会社テレビ神奈川(tvk) 代表取締役社長 熊谷典和
|その道のプロが切り開く「仕事の流儀」。今回は開局50周年を迎えたテレビ神奈川(tvk)の若き代表取締役社長・熊谷典和氏に、コンテンツの充実や社員の意識改革に取り組む試みなどのお話しを伺った。
株式会社テレビ神奈川 代表取締役社長 熊谷典和氏
スポーツと音楽が大好きな横浜っ子
BANZAI編集部(以下、B):tvkに入るまでのご経歴をお聞かせいただけますか?
熊谷:生まれは三重県の四日市市で、すぐ父親の関係で東京に来て、物心ついた時には横浜にいました。小学5年生で元町中華街の駅付近に引っ越しました。実は、当時住んでいた場所の目の前がtvk(旧社屋/ 山下町)だったんですよ。43年間ぐらい横浜市中区に住んでいます。
中高校時代は洋楽が流行っていたので、tvkで放送していた「billboard Top40」のチャートが学校で話題になっていました。当時から中村真理さんがMCを務めていますが、その頃からtvkに対する思いが強くなり、その過程で自宅の目の前がtvkだということを知り、少し興味が湧いて入社試験を受けました。
実は3年間ぐらい、好きなテニスに没頭しながら浪人してたんですよ(笑)。最終的に東洋大学に進学しました。当時は浪人年数が多いと就職しにくいという慣習がありましたが、エンターテインメント業界とマスコミは問題ない所が多かったので、そこを重点的に受けようと思いました。
ただ、テレビ局はtvkしか受けませんでした。自分に影響を与えてくれたtvkに入りたいというこだわりで。最終的に内定をもらい、1994年に入社したんです。
難関を突破しテレビ局に入社
B:テレビ局への入社は難関ですよね?
熊谷:倍率が何百倍だったんですよ。ただ自分の家の近くだったので、試験も面接も、5次面接くらいまであったかな、ふらっと行って帰ってきたっていうイメージが(笑)。なので入社してから次第と、ありがたみがわかってきて、どんな仕事でもやりますという感覚でした。
B:入社後はどんなことをやっていらっしゃったのですか?
熊谷:入った頃は販促部という部署だったんですよ。要はイベントの部署です。その頃に横浜シミズさんに本当にお世話になりました。入社から2年弱はイベントだらけの毎日でした。
鶴見つばさ橋の開通前マラソンと自転車レースや、綱引き大会、少年野球教室、社交ダンスイベントとか、いろいろなイベントを新人の僕を含め少人数でやっていたので、休みはほぼない状態。ですので、僕はほとんど横浜シミズのみなさんと一緒に居ました(笑)。
販促部に2年弱いた後に、制作部に配属され、今も継続しているJA(農業協同組合)の番組のアシスタントディレクター(AD)からスタートしました。その時の部署には社員のADが僕しかいなかったので、もうほとんど会社に居ましたね。ただ、さっきもお話したように、家が目の前だったので(笑)。
tvk公式キャラクターのカナガワニ ©tvk/ROBOT
音楽番組の担当に
B:その後、番組制作に異動するのですね。
熊谷:その何年か後に音楽番組に来いと言われ、音楽番組のディレクターを担当しました。そこで「saku saku」という番組に出会い、その後プロデューサーを長くやらせていただいたことで音楽業界の方とも親しくなることができました。
「saku saku MORNING CALL」という番組があって、そのMCがPUFFYだったんですよ。今回もPUFFYにはtvk50周年ライブに出演していただくのですが、当時はPUFFYとユースケ・サンタマリアさんが出演していたんですよ。
その後にタイトルが「saku saku」だけになり、初代MCがあかぎあいさんだった頃の終盤に僕がプロデューサーになったんですね。もう1人、制作会社のプロデューサーがいるんですけど、その彼と2人で木村カエラさんのMCへの起用を含め、「saku saku」の人気がグン! と伸びたタイミングで番組に携わらせてもらいました。
B:木村カエラさんがソロ歌手活動を始めたのは「saku saku」がきっかけと聞きました。
熊谷:当時の番組内企画として『Level42』という彼女のシングルを「saku saku」にちなんで390枚・横浜のCDショップ限定販売ということで作らせてもらいました。番組の遊び心で軽い気持ちで作ったんですけど、それがシャッターが閉まってるオープン前のお店に長蛇の列ができちゃって。
tvkの最大の個性は音楽?
B:tvkと言えば音楽というイメージ。他では絶対テレビに出ないような方がフラっと来ているかのように出ているのがすごく印象的です。
熊谷:1972 年の開局当時、他局と差別化する意味を込めて音楽というコンテンツに目をつけたのですが、当時ちょうどソニーグループをはじめとするレコードメーカーの大躍進や、ミュージックビデオを日本でも作り始めたり、サザンオールスターズをはじめ今も活躍するアーティストが出始めた時代でした。
そこで、キー局に出ないような新しいアーティストに我々の先輩たちが目をつけ「新人をどんどん出していこう」と。それが、宇崎竜童さんや佐野元春さんやサザンなどにtvkに出演いただいたきっかけですね。
徐々にtvkが新しいアーティストの集まる場所になっていて、「新人の時にお世話になったtvkに恩返しをしよ
う」みたいなことを幸いにも思っていただけるアーティストがいらっしゃって、その繰り返しでtvkの音楽の歴史が作られてきたんだろうと思いますね。
tvk開局50周年記念出版『横浜の“ロック”ステーション TVKの挑戦』も発売中
B:熊谷さんが手がけた音楽番組は他にはどんなものがあるんですか?
熊谷:結構たくさんありますが、ディレクター時代ですと、新人のBLANKEY JET CITYとかTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTなどを取り上げていた「Mutoma JAPAN」や、ピストン西沢さんがMC をやられていた「メガPOPキッス」という生放送番組に携わっていました。
なかなか出演機会のない「良い」アーティストに出ていただく場を提供したtvkという点で、キー局とは差別化ができ、うまくお互いにメリットがあったと思います。
若き社長の誕生
B:社長に就任された時はどのようなお気持ちでしたか?
熊谷:コロナ禍になる直前に前任の社長(現・相談役)から話がありました。前社長は僕の15歳年上ですから、まだまだ継続されると思っていたので、率直な気持ちとしては「わかりました。すぐやります!」とは、言えなかったですね。
ただ、前社長や当時の役員からも非常に熱心に話をしていただき、テレビ業界もこれから変革の時というのもありましたので、そこは責任感を持ってちゃんとやらなくてはならない、と気持ちを改めて、自分のなかで整理したうえで返事をさせていただきました。その半年後に株主総会で社長に就任しました。
役員も重責ですが、社長ともなると尚更そこは迷いもあってはいけないですし、あと、横浜は地元の経済界の皆さんと良い意味で密着しているところがありますので、少しでも「社長が代わって不安だ」と思われてはいけないですよね。
お付き合いも大切な業界で、前社長は元キャスターでしたので顔がすごく広く、その人脈も含めてちゃんと引き継いで、自分なりの色をしっかり出していけるかということは不安ではありましたが、僕も43年は横浜に住んでいますので、これまでの地元との密着度や経歴で培った自分なりの強みをもって、さらにより積極的に県内の様々なところに関わっていこうと思うようになりました。
B:社長になられた後に取り組もうと思ったことは何ですか?
熊谷:テレビが視聴されにくい時代。CD売り上げ下降期に音楽業界の方々とお仕事をさせていただいたので、テレビの時代もいずれこうなるのかなという不安を抱えながら仕事をしてきました。
でも今、音楽もエンターテインメントもなくなるわけではなく、取り組み方や考え方を変えなくちゃいけないんだろうなと。
テレビも全く一緒で「テレビ観られないでしょ」と言われますが、コンテンツの観られ方が違うだけの話。今はスマートフォンでもタブレットでも観ることができますし、そういう意味ではユーザーの方々のコンテンツを観る方法が違うだけだと、よく社員にも言います。
ですので、tvkはちゃんとしたコンテンツを作ってることをアピールできれば、ネットの力も使いながらどんどん広げていける。
コンテンツの「強み」をもっと考え、そのコンテンツがネット業界とうまくリンクすることによって、これまで県内に限られていたものを全世界にも発信することができるという考え方で、むしろメリットに感じた方がいいだろうなと思っています。
また、tvkは住宅展示場「tvkハウジング」や「横浜イングリッシュガーデン」、コンビニエンスストア事業など放送外の事業も手掛けております。
ローカル局は、どうやってテレビ局として生きていくかも大事ですが、地元のまちづくりや魅力をお伝えすることも重要な役割。放送事業と放送外事業の両輪をうまく回していけるような感覚を持っていかなければならないと考えています。
B:開局50周年おめでとうございます。今後はどのようなことを企画していますか?
熊谷:4月8日放送予定でした横浜DeNA ベイスターズの弊社冠試合「感謝のカタチ」ナイターは、コロナ禍の影響で延期され秋に仕切り直しです。
木村カエラさんに楽曲『Color Me feat. マヒトゥ・ザ・ピーポー』を書き下ろしていただき、50周年イベント告知の際に流しています。また、「saku saku」の一夜限り復活企画もあり、木村カエラさんにも全面協力していただきました。
横浜シミズさんにもお世話になる「tvk・ぴあ 50th anniversary LIVE 2022 ~ 感謝のカタチ~」では、木村カエラ、湘南乃風、私立恵比寿中学、SPECIAL OTHERS、聖飢魔Ⅱ、DISH//、PUFFYの計7 組の豪華アーティストに出演いただき、10月29日にぴあアリーナMMで開催されます。
B:51年目以降に向けての目標はありますか?
熊谷:テレビ業界に限らず、今のまま同じことで何十年もやっていける時代ではないと思います。tvkグループでは今チャレンジしている「コンテンツ力の強化と意識改革」が次のステップでうまく結びつけばいいと思ってます。
また、今までは、モノもイベントも営業も、電波もあるし敷地もあるし、と社内完結する考えが多かった。ただ、こういう時代だからこそ得意分野を活かしあい、様々な企業とタッグを組んだり、お知恵を拝借することが大切になると思います。
B:これから私たちシミズオクトとも何かコラボレーションができるとうれしいです。本日はありがとうございました。
※イベントマガジンBANZAI Vol.58 2022 Summer(2022年8月発行)掲載記事を再録。
イベント
tvk・ぴあ50th anniversary LIVE 2022~感謝のカタチ~
日時:2022年10月29日(土) OPEN 11:00/START 12:00
会場:ぴあアリーナMM(横浜市西区みなとみらい3丁目2−2)
出演:木村カエラ、湘南乃風、私立恵比寿中学、SPECIAL OTHERS、聖飢魔II、DISH//、PUFFY
詳細はこちら https://www.tvk-yokohama.com/50th/anniv-live/
PROFILE
熊谷 典和(くまがい よしかず) | 株式会社テレビ神奈川 代表取締役社長。昭和43年6月29日生まれ。54歳。中学・高校を神奈川県横浜市にある桐蔭学園で学ぶ。1994年にテレビ神奈川入社後、音楽番組のプロデューサー、取締役営業本部長などを経て、2020年6月からテレビ神奈川およびグループ会社であるtvkコミュニケーションズの代表取締役社長を務め現在に至る。趣味は草野球、音楽鑑賞。
INTERVIEWER
清水佳代子(イベントマガジンBANZAI 発行人)