仕事の流儀 ー 中村 伊知哉 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科 教授
|“仕事の流儀”とは、その道のプロが切り拓いてきた道を掘り下げる企画。今回は、現在様々な肩書きを持ちながら、国家メディアプロジェクトの頭脳として活躍されている、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授の中村伊知哉氏に話を伺った。音楽ディレクター、国家公務員、大学院教授というこれまでの経歴から見えてきたのはアーティストへのリスペクトと日本に対する期待だった。
アーティストの活動と可能性が広がる環境づくり
―少年ナイフのディレクター時代の活動について詳しくお伺いできますか。
少年ナイフは大阪の女性3人組のバンドです。今から約37年前、大阪の公園でギターを弾いている彼女たちたちに出会って、バンドを作ったところから始まっています。インディーズ時代、コンセプト作りや一緒に曲を作ったり、3枚のアルバムを作るところまで僕も一緒に活動していました。2枚目と3枚目のアルバムでは僕がギターとベースを弾いて参加しています。
―当時から少年ナイフのディレクターとして、日本のコンテンツを世界に発信していきたいという意識をされていたのでしょうか?
その意識は全くありませんでした。当初、少年ナイフはギターもまともに弾けない女の子たちが、それでもロックはこれでええやんと、ストレートなロックをやっていました。誰もが音楽で思ったことをシンプルに表現できる。それを実行していただけです。それがふとしたきっかけでアメリカやヨーロッパで売れ出しました。それはこちらが意図したことではありません。欧米のピュアなロックオタクが日本に来て、少年ナイフのレコードを買っていき、欧米のラジオなどで流すようになり、いつのまにか売れていました。おそらく、日本発で初めて海外で成功したバンドだと思います。どういう戦略だったのかとよく質問されますが、戦略は何もありません。パンクはそれまでのロックが飽和した70年代後半から80年代に現れ、それまでの表現をひっくり返したものです。少年ナイフもその一つと言えるでしょう。
―郵政省でのご経験が今の仕事の基礎になっていると思いますが、少年ナイフのディレクターから郵政省に入るいきさつはどのようなものだったのでしょうか?
ある時、自分には音楽の才能が全くないと気づいたのです。僕の周りにいたのは今から思えばすごい連中ばかりでした。京大軽音楽部の部室の外で毎日寝っ転がってラッパ吹いてた僕の5〜6年上のお兄さんは、後に世界のトランペッターになる近藤等則さんでした。『ボ・ガンボス』を結成することになる連中も一緒でした。僕の周りは、売れてるわけではなかったけれど、全力で音楽をやっている連中ばかりでした。僕がその時に思ったことは、全力で表現をしようとする彼らがフルスイングできる環境を作りたいということです。色々調べていくと、それができるのは郵政省(現 総務省)ということがわかりました。それからは必死に勉強して公務員試験に合格しました。
―ソフトが成熟していくためのインフラをつくったと思うんですが、それは少年ナイフを売り出した時に必要だと実感したものなんでしょうか。
僕が郵政省に入った当時、テレビ局は数社しかありませんでした。その後、衛星放送が登場し、90年代に入りインターネットが登場しました。その時に僕は、これだ、と思いました。だれもが情報を発信できるテクノロジーができた。インターネットの黎明期は、電話会社の存在が脅かされると不安視する見方もありましたが、僕はそれでも普及させるべきだと考え、そのための政策を進めました。少年ナイフや寝転がっていたトランペットのお兄さんたちのような人々が世界に出て行けるようにしたかったからです。
社会起業に必要なのはパッション
ー現在は、教育に力を入れられていますが、何かきっかけがあったのでしょうか?。
大学に所属するようになって先生と呼ばれることが多くなりましたが、自分では先生なんて思っていません(笑)。やってることはこれまでと変わっていません。通信自由化を進めるとか、インターネットをみんなが使えるようにするという、場作りをずっとしてきました。その活動をもっと広げたいと思い、政府を飛び出してMITやスタンフォード大に行ったりしました。
現在のITの世界はアメリカの大学が生んできました。Google、Facebook、Microsoft、Yahoo!、みなハーバードやスタンフォードの学生が作ったものです。日本はウォークマンもファミコンもポケモンも、すばらしい技術や文化を生んできているにも関わらず、日本の大学は何も生み出していないのではないか?と思っていました。大学から発信できるような環境があればいいとずっと言い続けていました。
そうしたタイミングで慶應義塾大学に新しい研究科を作る話が持ち上がり、参加しました。ここでもこれまで同様に場作りや環境整備をしています。例えば、デジタルサイネージを全国に普及させる活動を進めたり、デジタル教科書を学校に導入する運動を進めたり、クールジャパンの旗を振ったり、東京にポップ&テックの集積する特区を作ったり。2020年には新しい大学も作る予定です。それも全て、場作り、つまり“社会起業”です。そのようなことに関心がある人がいれば、プロジェクトに参加して何か学び取ってくれるといい。ぼくが学生にできることはそれだけです。
― “社会起業”ができるためには何が必要ですか?
パッションだけです。僕は役所では政策や法律を作ることで、みんなが自由に発信できたり、コンテンツを楽しんだりできるような環境づくりに努めてきました。そうなってほしい、という思いからです。役所を出てからも、NPOや社団法人、コンソーシアムやプロジェクトなど20件ほどの社会起業を続けています。最近、“社会起業”という言葉がでてきましたが、振り返ってみて、自分のやってきたことはそれだなと気がつきました。
―パッションの中身はアーティストが生き生きできる場所を作りたいということですか?
アーティストというとプロフェッショナルな感じがしますが、誰でも創造力や表現力を普通に発揮できる世の中にしたいという思いです。ネットが普及し、デジタルが普及して、価値観が分散し、この会社に入ったから偉いとか、この大学に入ったからいいということが崩れてきました。みんなが自由に生きられるようになってきたと思いますが、このようなチャンスをもっと前に進めたいと思います。
2018年が日本のeスポーツ元年
―ところで、今注目されているeスポーツの促進に尽力されていますが、日本のeスポーツはこれからどうなると思いますか?日本は立ち遅れているとも言われてますが。
立ち遅れてます。10年遅れているという人もいれば20年という人もいます。が、日本のeスポーツは発展します。これまでは賞金の上限の規制や業界団体の分立などプロフェッショナルが生まれる環境が整備されていませんでした。ただ、僕はもっと大きな理由があると思います。それは日本のゲームが成功しすぎたからです。1983年にファミコンが登場して以来、テレビゲームは日本が世界を制しました。一方、外国ではパソコンやインターネットのゲームが流行りました。これがeスポーツにつながります。日本は世界に先駆けてテレビゲーム大国になったため、パソコンやネットでのゲームの世界に行くのに遅れたのではないかと思います。現在は、どのゲーム機もネットに繋がるようになりましたし、日本はスマホのゲームも盛んですので、これから追いつくでしょう。
選手育成という課題はありますが、今年に入り団体の統一や賞金規制のクリアなど環境が整ってきましたので、これからどんどん成長していくのではないでしょうか。ポイントはいつオリンピックの正式種目になるかです。早ければ2024年パリ大会、遅くとも2028年のロサンゼルス大会では正式種目になるのではないかと言われています。ゲームの強い子が日の丸を背負って金メダルを取る日が来るかもしれない。政府が推進する知財計画でも「eスポーツの発展」ということが謳われたので、2018年が日本のeスポーツ元年と刻まれるのではないでしょうか。。
―eスポーツはスポーツだと、わからない人にどのように説明されていますか?
なかなかまだ難しいです。2022年のアジア大会で、eスポーツが正式種目として認められましたので、スポーツだという理解は多少は進むでしょう。この次に業界団体としてやるべきことは、JOCへの正式加盟です。その次はスポーツ庁に提言していきたいです。そしてオリンピックへの採択が決まれば、世間の見方はがらりと変わるでしょう。
やるからには“世界一”を狙えるものを
ーeスポーツへの取り組みや考え方について、先生のパッションをとても感じます。
僕は自分が取り組むプロジェクトは、“世界一”になるものだけと決めています。デジタルサイネージもクールジャパンもポップ&テック特区もみな進める先に世界一が見えるものです。
eスポーツもそう。絶対に日本が世界チャンピオンになると思っています。そのために必要な潜在力があり、ここにきてビジネスとしても動き始めました。残る課題は”人材の育成”です。Jリーグが創設されたとき、ジュニア育成の仕組みも作られました。それがW杯の活躍につながっています。eスポーツも、全国の大学に特待コースを作ったり、中学や高校でeスポーツクラブに入ってるとかっこいいという具合に持っていくことが大切です。そこはかなり“社会起業”ですよ。
―世界一に必要なものは何だと思われますか。
eスポーツの世界は“人材”、“産業”、“テクノロジー”の3要素で成り立っています。日本には全部あります。僕は、材料が揃っていて、その組み合わせを最大限に活かせば世界一になるという分野に着目して、それを実現すべく進めています。
日本の強みは「文化」と「技術」の総合力。ゲームという表現☓テクノロジーの分野は典型。初音ミクが世界スターになったのは、ミクのキャラクターと、ボーカロイドというテクノロジーの融合を、みんながソーシャルメディアの上で育てたから。そのように世界的に力を発揮できる領域はまだまだ無限にあります。
―ところで、中村先生が“世界一”のフェスを開くとしたらどんなフェスにしますか。
今年の夏に(8月)『YouGoEx』というポップ&テックの融合フェスを東京ベイエリアの竹芝で開催します。日本の強みであるポップカルチャーとテクノロジーを融合したなんでもありのフェスです。今回のフェスは音楽、テクノロジー、漫画やゲーム、キッッズプログラム、ビジネス、eスポーツ、超人スポーツをいっぺんにお見せする場です。今年はホップで、来年がステップ、そして竹芝の特区『CiP』が本格的に開業する2020年がジャンプの年と考えています。そして2020年の東京オリンピックに合わせ、超人スポーツ世界大会も竹芝『CiP』で開きたいと思っています。いずれは米オースティンの『SXSW』を超えるものにしたいですね。できると思います。竹芝『CiP』は他の都市とのハブ機能の性質も持ち合わせています。札幌、京都、大阪、神戸、福岡、那覇といったポップ&テックに関心の高い都市をつないで、ポップ・テック列島を作りたいと思っています。
必要なのは「遊び方」革命
―現代の若者に対して一言お願いします。
今の若い世代はとても羨ましい。僕らの時代は、大学に入って、いい会社に入ってというようなレールが決まっていました。もうその時代は去りました。ヒエラルキーがフラットになり、後ろめたくなく自分で好きなことを選べるようになりました。
そして同時にAIの時代がやってきます。今の仕事の半分がロボットやAIに奪われると言われていますが、逆にそれは今の仕事の半分をAIやロボットがやってくれるということです。つまり「超ヒマ社会」になるのです。現在、政府は働き方改革を掲げていますが、必要なことは「遊び方改革」ではないでしょうか。余る時間にどれだけクリエイティブな遊びをするか、を考える。遊ぶことが人生の大半になる。その世代はとても羨ましいです。真剣に好きなことをやらなければいけません。
―仕事をAIにやってもらったら、仕事がなくなってしまうという不安の方が大きいのですが。
今の仕事をAIがやるということは、AIが稼ぎますので、生産性は変わらず、おそらく今よりGDPも増えるのではないでしょうか。IT社会になり、情報の伝達や共有が劇的に変化したレベル以上の大きな変化が訪れると思います。
AIに仕事をさせる社会では、生産政策より分配政策が大事になります。AIが稼いだカネをどうみんなで分け合うかです。働かなくても食える社会の設計です。そうなると、時間をどう使うかということを考えることも大切になります。同時に、お金をたくさん使わなくてもハッピーになれる暮らしになっているでしょう。すでに、ものを買うよりもシェアするし、音楽にしても映像にしてもタダで楽しんでいても、ライブにはちゃんとお金を払って行きますよね。自分にとって意味のある、価値のあることにはお金を使うということを若い世代がどんどん実行しています。
いま不安がっている人は、置いていかれるでしょう。これからの社会は、これまでの社会の何倍も変化に次ぐ変化が続きます。それを生きるコツは、「変化を楽しむ」ことです。変化を受け入れ、スリリングな変化を乗りこなそうとする人がハッピーになると思います。
―ここまで多方面で活動してこられて、現在の音楽業界の状況を先生はどのように見ておられますか
一番感じていることは、新しい音楽が生まれてきていないことです。僕らが音楽をやっていた頃はパンクムーブメントが起こり、音楽シーンが丸ごと変わるようなワクワク感がずっと続いていた時期です。ラップミュージックやテクノなども場面を変えました。その後はあまり大きなムーブメントがないなと思っていますので、そろそろ新しい波が来るのではという気がしています。それはひょっとすると、音楽の中からではなく別のところからかもしれない。最近のバンドは、かなりプログラマーが中心になって、ギターやベースやドラムができなくても、打ち込みとボーカルだけでもすごいバンドってたくさんいます。それは革命です。音楽の世界だけでなく、映像やゲームの世界でもすべてが地続きになって融合したりしたりすることがそろそろ起きるのではないかと期待しています。
PROFILE
中村 伊知哉(なかむら いちや)|慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科 教授
1961年生まれ。京都大学経済学部卒。慶應義塾大学で博士号取得(政策・メディア)。
1984年、ロックバンド「少年ナイフ」のディレクターを経て郵政省入省。通信・放送融合政策、インターネット政策を政府で最初に担当するが、橋本行革で省庁再編に携わったのを最後に退官し渡米。
1998年 MITメディアラボ客員教授。2002年 スタンフォード日本センター研究所長。2006年より慶應義塾大学教授。
内閣府知的財産戦略本部委員会座長、内閣府クールジャパン戦略会議、文化審議会著作権分科会小委などの委員を務める。
CiP協議会理事長、デジタルサイネージコンソーシアム理事長、映像配信高度化機構理事長、超人スポーツ協会共同代表、デジタル教科書教材協議会専務理事、吉本興業社外取締役、理化学研究所AIPセンターコーディネーター、東京大学客員研究員などを兼務。i専門職大学(大学名仮称・設置構想中)学長就任予定。
著書に『コンテンツと国家戦略』(角川Epub選書)、『中村伊知哉の新世紀ITビジネス進化論』(ディスカバリートゥエンティワン)など多数。
Twitter : @ichiyanakamura
Facebook : 中村 伊知哉