日本のスタジアムライブの変遷を語る~ルーツミュージックを現代の若いバンドに伝える会~
|シミズオクト会長・清水卓治さん、湯川れい子さん、ダイアモンド☆ユカイさん、江夏亜祐さん(エナツの祟り)が、後楽園球場で最も多くのライブを行った西城秀樹さんなどを例に、大型コンサートの黎明期について語るイベントを2020年1月22日に赤羽ReNY alphaにて開催しました。熱気溢れた会場の様子をお届けします。
清水卓治さんに続き、西城秀樹さんの写真集を手に登壇した湯川れい子さん。そして西城さんと数々の交流があったダイアモンド☆ユカイさんが登壇。さらに華麗な衣装で現れた江夏亜祐さんに驚きの声が起きました。
日本で初めての強烈な音の出現
司会(清水佳代子):国内初のスタジアムライブは1968年のザ・タイガースでした。その後、70年代にグランド・ファンク・レイルロード、そしてエマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)と外国人アーティストがコンサートを行っています。
清水卓治(以下、清水):グランド・ファンク・レイルロードは汽車が驀進するような大音響でした。梅雨明けの豪雨でしたが、その日でないと開催できないという野球場の制約があり開催しました。
湯川れい子(以下、湯川):私もその会場にいたのですが、ものすごい雷雨でしたね。60年代はロックンロールで、プレスリーとかビートルズとかみんなが一緒に歌えたり、口ずさめたりする程度の音量でしたが、1971年のグランド・ファンク・レイルロード初来日公演は、初めて目の前で観られる大型ロックでしたね。
清水:ロックの強烈な音とリズムを日本の大半の若者は初めて聴いたと思います。
ダイアモンド☆ユカイ(以下、ユカイ):PA(Public Address の略。音響機器)システムが70年代ぐらいにできて、それまでデカいPAで皆さん聴いたことがなかったんですよね。
清水:当時のスピーカーは日本にはラッパ型のスピーカーしかなかった。
湯川:初めて大きなスピーカーがステージ上に出現した頃ですね。71年にレッド・ツェッペリンが初来日し武道館でライブしましたね。
大型コンサートの礎を作った先駆者 西城秀樹
司会:70年代に活躍した日本人アーティストたちが現在の大型コンサートの礎を作ったとも言われています。その代表と言えるのが、1974年、ソロ歌手として初のスタジアムライブを大阪球場で行った西城秀樹さん。大阪球場で10年連続、後楽園球場でも1978年以降4年連続でライブを行いました。
清水:西城さんの思い出は沢山あります。今はステージで踊るのが当たり前ですが、当時は三波春夫さんや東海林太郎さんの時代でしたので、その中で西城さんの振り付けやアクションは飛びぬけていましたね。
江夏亜祐(以下、江夏):僕は“エナツの祟り”というバンドでドラムを担当していますが、東京国際フォーラムでのワンマンライブで、ドラムをそのまま前に動かすというシステムを使わせていただきました。既に70年代から秀樹さんのステージで同じようなものを使っていたという事を知って、びっくりしました。
湯川:西城さんは71年のレッド・ツェッペリンの広島公演を観ているのですよね。デビューしたのが17歳で72年だから、その少し前に。
ユカイ:実はロック好きでドラマーだったんですよね。
湯川:そうなんですね。お兄さんのバンドのドラマーで。
江夏:ほー。そうなのですね!
湯川:1974年の紅白出場の際にスモークを焚いているのですが、あの頃はまだドライアイスを使うマシンが無く、ボンベをアメリカから運ばせたと。
ユカイ:先駆者ですね。
湯川:西城さんは78年の後楽園球場で、クレーンで釣ったゴンドラから立ち上がり、翼を着けて出てきましたね。
清水:そのゴンドラの中に舞台監督が一人乗っていたのです。まだワイヤレスはなかった頃なので大変でした。ステージのバンドとゴンドラは離れていて音の時間差がありますからね。非常に難しかったです。
西城秀樹さんのファンの方々から会場に贈られた花
進化する音の技術
司会:80年代後半、後楽園球場が閉じられ東京ドームが出来ることが決定した最中、外国人アーティストの来日ラッシュが。1982年にサイモン&ガーファンクル、1987年はライオネル・リッチー、マドンナ、マイケル・ジャクソンがスタジアムコンサートを行いました。
ユカイ:僕も88年89年に西武球場でやらせて貰いまして。客席は遠くて殆ど見えなかったです。
湯川:大型会場は遠くて夜は見えないし一体感が持てないから、ファンに「光る物を持ってきて!」と最初に呼びかけたのも西城さんなのよね。今はペンライトとかサイリウムなんて呼ばれているけど。
ユカイ:西武球場の時もやはりペンライトみたいなのを点けて、とても綺麗で歌っていて最高の気分でした。でも当時は屋根がなかったので、今とまた全然違うと思います。
湯川:ドームに屋根が出来てしばらくがっかりした記憶があります。音が違っちゃって。
清水:舞台照明音響と言いますが、音が一番難しく永遠の課題ですね。大きい会場だと音源から客席までの距離に応じて音がずれますから。そこをダブって聞こえないようにするのが非常に難しい。
湯川:武道館はそれに10年かかったと言われていますね。江夏さんもスタジアムライブは夢ですか?
江夏:もちろん! やりたいと思っています。ぜひそんな事が出来るようなバンドになりたいと思いながら活動しています。
湯川:西城さんの話に戻るけど、あの時代に3万人も入る会場で10年も続けたってすごい事ですよね? しかもオープニングは殆ど洋楽曲よね。
清水:西城さんはアメリカの曲を随分勉強をしたのですよね。
湯川:ものすごく。フォガットやハードロック等びっくりするような曲も歌っていましたよね。
清水:そんな西城さんにアメリカツアーをやらせたかったですね。
トーク後はエナツの祟りのステージ。西城秀樹さんの名曲『激しい恋』のカバーも披露されました。
ダイアモンド☆ユカイさんは『GOLD』『虹の彼方に』『君はともだち』『バラとワイン』を熱唱。
『ブルースカイ ブルー』では西城秀樹さんのようなマイクスタンドアクションも。
さらに湯川れい子さんの84歳のバースデーを祝い、ユカイさんがバースデーソングをアカペラで熱唱。湯川さんは平和への願いを込めながらバースデーケーキのろうそくを吹き消しました。
さらに、全員で『YOUNG MAN(Y.M.C.A.)』を熱唱。客席も一体となり盛り上がりました。
最後はみんなで記念写真。
ご来場いただきました皆様ありがとうございました!
清水卓治:株式会社シミズオクト代表取締役会長。『裏方ひとすじ』を理念に創成期から現在までコンサート業界を支え続けている。また2021年は東京オリンピック・パラリンピックが開催されるが、イベント業界の一員として全社を挙げてスポーツイベントに取り組む。
湯川れい子:音楽評論家・作詞家。16年間に亘った『全米TOP40』を始めとするラジオのDJ、また早くからエルヴィス・プレスリーやビートルズを日本に広めるなど、独自の視点によるポップスの評論・解説を手がけ、さらに『ランナウェイ』『センチメンタル・ジャーニー』『ロング・バージョン』『六本木心中』『恋におちて』など作詞家としても活動。
公式サイト http://www.rainbow-network.com/
ダイアモンド☆ユカイ️:ロックシンガー、俳優。伝説のロックバンド“RED WARRIORS”のボーカルとしてスタジアムライブも経験。解散後はソロとして活動。現在は音楽活動を中心に舞台・映画・バラエティー番組に出演するなど幅広く活動中。2020年はソロデビュー30周年となる。
公式ブログ https://ameblo.jp/diamondyukai/
江夏亜祐:エナツの祟り(ex ビートたけし命名“ジュリアナの祟り”) Dr. /リーダー。全楽曲の作詞作曲を手がけ、さらに演出やバンド全体のプロデュースまで手がけている。千葉県の鴨川ふるさと大使。パール楽器製造株式会社エンドースメントアーティスト。華屋与兵衛の子孫でもある。2020年6月20日(土)にLINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)でワンマンRAVEを開催予定だったが、コロナ禍の影響で2021年6月20日(日)に同会場での開催に延期となった。
エナツの祟り 公式サイト https://tatari.tokyo/
司会を務めた清水佳代子よりコメント
父の仕事の関係で子供の頃からライブには親しんでいました。中でも西城秀樹さんの迫力のあるステージには度肝を抜かれていました。最近、舞台美術家の松下朗さんの残した図面や資料を拝見していかに西城秀樹さんの時代のアイディアが現代のコンサート演出の基盤になっているかを知り、あんな時代にこんなことを思いついていたのかと驚愕しました。
エナツの祟り(ex ジュリアナの祟り)の東京国際フォーラムでのワンマンライブ(上部写真:DVD)でも可動式山台が使用されていましたが、赤羽の本イベントの資料映像で西城秀樹さんが同様のものを使っていたことがわかり、その先駆者ぶりに感動致しました。
清水佳代子:株式会社シミズオクト 取締役副社長。
さまざまなイベントのプロデュースを手がける。
イベントマガジンBANZAI発行人。
慶應義塾大学大学院卒業。
江夏亜祐さんからコメント
出演する前は僕で良いのかと思いましたが、秀樹さんのファンの方々がとてもあたたかく、会場にお花までいただき、秀樹さんはとても愛された人なんだなと感じました。僕らが当日カバーしてYouTubeにもアップした『激しい恋』は、エナツの祟りらしいトランスポップロック感を出し原曲の良さも昇華できたらと思いながらアレンジしました。
秀樹さんとエナツの祟りは、わかりやすいフレーズと振り付け、耳に残るメロディー、さらに秀樹さんファン手作りのピンクのポンポンは僕らの手がけたグッズ“ジュリ扇”と似た派手さがあるし、楽曲テーマも青春と共通点がありますね。ぜひ今後もどちらのファンの方々にも親しんでいただければと思います。
※イベントマガジンBANZAI vol.57(2020年春号)の記事を再編集しました。
※ダイアモンド☆ユカイさんのお名前の☆は正式表記では六芒星ですが、一部環境で表示できないため、本稿では☆で表記させていただきました。